top of page

第263回「人間万事塞翁が馬」

こんにちは。柴田エイジングケア・美容クリニックの柴田です。寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか? 今年は阪神・淡路大震災から30年でしたね。あの震災からもう30年も経ったんですねぇ…。30年も前の事とは思えないくらい、当時の事は鮮明に覚えています。皆様の中にも大変な経験をされた方が多くいらっしゃると思います。以前のクリニック通信にも少し書きましたが、当時私は大阪の病院に勤めていたんですが住んでいたのは芦屋で、部屋を借りていた分譲貸しのマンションは半壊。でも私は運良く学会でアメリカに行っていて震災の日に帰国したので、震災のあった早朝は芦屋の部屋にはいなくて助かったんです。人生本当に何が明暗を分けるか分かりませんよね…。



帰国当初は詳しい状況が分からなかったので取りあえずタクシーで芦屋に向かったのですが、途中あちこち土砂崩れで通行止めになっていたので、自宅が酷い状態だったら大阪の実家に帰ろうと思ってタクシーに待っててもらい、自宅の様子を見に行くと…マンションは傾き、部屋の中は棚の中の物が全部飛び出して散乱し、驚くほどの状態でした。ベッドの上には医学書の詰まった本棚が倒れていたので、寝てたら死んでたかも…。その時は電車が止まっているとかも分からなかったので、身の回りの物を少しだけ持って実家に向かったのですが…当時の通勤路だった阪神高速は芦屋近くで真っ二つに折れてバスが宙吊りに。携帯電話は全く繋がらず、新聞の死亡者名簿に同姓同名の人が載っていたらしく、職場では私は死んだと思われていたようです。夕方になってやっと病院に電話が通じた時に電話口に出てきた後輩は「先生、生きてたん~?!」って涙ちょちょぎれてました。あの日はタクシーに8時間乗ってたなぁ…。


実家は無事だったので、数週間は実家から病院に通い、休み毎に朝3時に車で芦屋に向かって(電車は止まっていて、道路は昼間は渋滞するため)自宅を片付けました。当時元気だった父が、朝の3時だったら渋滞しないという事を発見してくれて、せっせと朝の3時に実家から芦屋に通って片付けを手伝ってくれたんですよね。水道も止まっていたので、水は大阪から持参。電車が開通してからは病院関係の人たちも、水と段ボールを持参して電車で芦屋まで通って片付けを手伝ってくれ、感謝感激でした。当時大阪は被害が少なく普通の生活ができていたので、大阪と神戸の様子の違いに驚いたものです。着飾った人達が普通に乗っている電車の車内で、私達だけが段ボールと水を持ってジャージ姿。芦屋では1階が押しつぶされたマンションや傾いた家屋もあちこちに見られ、電気が止まっているので夜になると真っ暗になって人っ子一人いない死んだ街のようでした…。よくまぁここまで復興したものだなぁと、当時を思い出すと感心してしまいます。



また、震災の時に必ず出てくる写真として、阪神高速道路が倒壊した時にギリギリのところでストップして落下を免れたバスがありますね。もうまさに九死に一生を得たと言うか、あの時のこのバスの運転手さんや乗客の方の気持ちを思うと心臓がドキドキしてしまいます。逆にあの倒壊の際に一緒に落下してしまった車やその下敷きになってしまった車に乗車されていた方々の事を思うと、胸が痛みます。本当に一瞬のタイミングの違いが人の生死を無常にも分けてしまった訳ですね。運命とはかくも非情なものなのでしょうか…。



そして、幸いにも生き残った皆さんにもその後大変な生活が待ち構えていました。私の知り合いはポートアイランドのマンションに住んでいたのですが、マンションの倒壊は免れたものの、その後ポートアイランドは液状化現象によっていたるところが水浸しになり、電気・ガス・水道すべての生活インフラが遮断。かなりの長期にわたって生活用水ですら給水車が来る度にバケツなどに入れてエレベーターの止まった状況の中、階段で10階以上を毎日上り下りしていたそうです。「いやぁ…あの時は本当に筋トレになったよ…」と笑って言えるようになったのは、勿論震災から何年も経ってからでした。


思えば30年前の神戸は今のようにタワーマンションなんてなくて、高層ビルと言えば市役所とか新神戸オリエンタルホテルとか数えるほどしかなかったと思います。今は神戸もすっかり様変わりしてタワーマンションが立ち並んでいますが、今同じ事が起きると高層階に住む高齢者の皆さんの生活ってどうなっちゃうんでしょうね。当時もボランティアとして日本全国から若い皆さんが駆けつけてくださいましたが、毎日バケツに水を入れてタワーマンションの階段の上り下りをさせらたら、さすがにボランティアの皆さんも音を上げて帰ってしまうんじゃないか…なんて思います。(いや…やっぱり日本人は真面目なんでその程度の試練で帰ったりしないでしょうね…。恐らくそのシーンを外国メディアが取材して、また「日本では奇跡のような事が起きている」と報道するんじゃないかな…(^_^)。)



一方で、今思えば大変だったけど人生の中であの経験なくしては今の自分はなかった…と言う人もいます。このクリニック通信で度々登場する友人Ⅿも「あの時が人生で一番幸せを感じた」と言っていました。彼の場合はずっと神戸に住んでいるので震災が直撃した訳で、勿論大変な経験をした訳ですが、「あの時は幸いにして住んでるマンションは倒壊を免れたんだけど、それまでお隣さんに誰が住んでいるかも知らない状態だったのに、震災をきっかけに状況が一変。毎日給水車やお弁当の配給に並ぶ時などは『一緒に頑張りましょう!』って声かけあってたし、近所の人達で倒壊した家屋をかき分けてなんとか生きている人を助け出したり、その後は電気も水道もない中で近所の皆さんと焚火をして炊き出ししたりと、本当に支えあって生活してたのよ。勿論仕事なんかする余裕ないから、兎に角毎日生きていればいいというだけだったけど、そのうち色々な支援物資が届いて、ボランティアの人とかが来て掃除を手伝ってくれたり、本当に『あ…生きてるんだ、生きてるだけで幸せなんだ。そして人ってこんなに優しいんだ…人が困っているとこんなに無条件で助けてくれるんだ…』とあんなに感じた事はなかったなぁ…」としみじみ回顧していました。彼は当時飲食の店舗を経営していたのですが、震災によりすべて潰れてしまい借金だけが残る事に…。暫くはする事がなく家でじっとしていたらしいのですが、ちょうどその頃にインターネットが日本にもやってきたので自宅で電話回線を使って初めてインターネットというものを使う機会に触れ、そしてそれに感銘を受けて完全に人生を転換。その後はネット関連のベンチャー企業を立ち上げて、従業員100名を超えるIT会社の社長になりました。「いやぁ…あの震災がなかったら今の自分はなかったなぁ…。人間って一旦平和な生活に慣れるとそれに甘えて自分を変える事ってなかなかできないでしょ? でもあの震災は強制的に自分の人生のすべてを強制リセットしてしまったのよ。そりゃその時は『なんで神様はこんな過酷な事をするんだ!』と恨んだ事もあるけど、今となってはこれこそが運命だったんだろう、あのリセットによって初めて自分が自分を超えるチャンスを与えられたんだ…と思うよ」…と。「人間万事塞翁が馬」…本当に悪いと思った事が好転のきっかけになったり、良いと思っていた事がその後の悪事を引き起こしたり、人生は分からないもんですね。



本当に何が幸いして何が悪くなるのか…それは人生が終わってみるまで分からないですよね。この前、ネットの記事を見ていてある人の本が紹介されていたのですが、その著者が非常に面白い事を書いていました。「私は人生の輪廻転生を信じているんです。人間は死ぬと一旦天国に行って自分の人生を振り返る。そして、次に生まれ変わる時に自分の人生のシナリオを作成するんです。そして、シナリオを十分に吟味した後に「おぎゃー」と生まれ変わる。ただし生まれかわった瞬間にその自分で書いたシナリオを忘れてしまうんです。でも、今生きている内の起きた諸所の問題や苦しい事などはすべて過去の自分が『次の人生で成長する為に必要だ』と思って作成したんです。だから辛い事や苦しい事も自分が書いたシナリオなんだから、そこから逃げずに解決するように努力すれば必ず『あぁ…この成長の為にわざわざ過去の自分がこの苦境をセットしたのか…』と分かる時が来ます」…というような事を書かれていました。まぁ、輪廻転生を信じるかと言うと私は微妙ですが、確かに苦境をきっかけにそれを解決しようともがいて、努力して結果としてそれを乗り越えた時に何倍も成長したり人生が好転した事はあるので、過去の自分が自分の為にセットしたシナリオなんだ…と言われれば、妙に納得できる話でもありますね。(…てか、そう思えば苦しい時も頑張って乗り越えたる!と思う気力も沸いてきますよね。)



医学の世界にも、ノーベル賞級の発見が実験などの失敗によって偶然もたらされる事が結構多くあります。有名なところでは、アレクサンダー・フレミングによるペニシリン(抗生物質)の発見です。もう抗生物質と言えば、現代の医学にもたらした貢献度から言えばノーベル賞を三回受賞してもいいくらいの世紀の大発見です。これによって一体世界の何百万人の人の命が助かったか分かりません。ただ、この世紀の大発見は実験場の失敗によって偶然もたらされました。彼はブドウ球菌をプレパラートで培養していたのですが、誤ってそこに青カビを落としてしまいます。医療の現場は何はなくても清潔を徹底されますが、プロの研究者たるもの誤ってカビの菌を実験用のプレパラートに混入させてしまうなんて、普通だったらどやしまくられて先輩から蹴られてもおかしくありません。(医療業界って体育会系のノリなもんで…(^_^)。)ところが、誤って落としたその青カビの周りにはブドウ球菌が全く成長していない事に気づいた彼は、青カビから出ている何かにブドウ球菌の成長を阻害してそれを殺してしまうものが含まれているに違いない…と思い、青カビの培養液をろ過してそこに含まれる物質を取り出し、今のペニシリン(抗生物質)が誕生する事になった訳です。



まぁこれは後世の人がこの発見ストーリーをドラマティックにする為に、彼の実験の失敗の部分だけをクローズアップして「失敗は成功の母」なんだという事を強調しているきらいはありますが…。本来は、失敗は失敗でもそこから「青カビから生成された液体になんらかのブドウ球菌を殺す物質が含まれているのではないか」と推論して、それを注意深く抽出して実験を重ね、さらにその物質は人間には無害なのだがブドウ球菌に対して選択的に毒性を発揮するという事を確認する…という超一流の研究者ならではの仕事があっての大発見なんですが、まぁその辺は地味で面白くない話なんで後世には伝わってないんでしょうね…。この手の話はニュートンがリンゴが木から落ちるところを見て万有引力を発見したといった「さすがにそれは言い過ぎでしょ!」みたいな話を含めて、人の想像力を掻き立てる面白い逸話となっています。

ただ、そうであったとしても何が人生を悪くしたり、好転させるのかは本当に分からないもので、悪いと思っていた事がその後好転のきっかけになったりする…というのは事実だと思います。



私の父も第2次世界大戦中に陸軍から広島の近くの小さな島に派遣されていて、望遠鏡を見る係を決める視力検査の前にお腹の調子が悪くなってトイレに行ってたら検査に間に合わず、しんどい大砲を操作する係に回されて「しもたなぁ…」と思っていたら、広島に原爆が落ちた時に望遠鏡の係の人たちは視察のため広島市内に行かされたので、望遠鏡の係になれなかった父は被爆を逃れたんだとか。もし父が検査に間に合っていたら、父は視力は良かったので望遠鏡の係になって被爆し、私はこの世にいなかったかもしれません。人生本当に何が明暗を分けるか分かりませんね。戦後父が就職した国鉄も当時はエリートコースだったようですが、民営化で全く様変わりしてしまいましたし、良いと思っていた事がそうでなくなったり、悪いと思っていた事が良くなったり、「人生何がどう転ぶか分からん」というのは父の口癖でした。


「人間万事塞翁が馬」



そう言えば去年から「震災の慰霊と鎮魂、復興・再生への夢と希望」というテーマのルミナリエが、1月開催になって復活しましたね。不運にも震災の犠牲になった方を心より追悼すると共に、幸運にも生き残った私達は、1日1日を大切に生きていかないといけないなと、震災後30年の年に改めて思った次第です。今後もより良く生きていくための情報をお届けできるように頑張ろうと思いますので、宜しくお願い致します。



bottom of page